鍋の中

村田喜代子鍋の中 (文春文庫)』は、思い出深い小説です。いまはもう単行本も文庫も絶版になっているらしく、残念。
高校の時の模試で、現代文の課題文として、この「鍋の中」が出題されていた。で、その文章を読んで恥ずかしながら泣きそうになって、もう模試どころではなくなってしまったことがあった。
田舎で一人暮らしのおばあさんのところへ、夏の間、孫たちが訪れることになる、という話なのだけれど、課題文として出ていたのは次のような部分。

 わたし達が到着した夕方、おばあさんは広い台所の中の全部の戸ダナをひらいて探しものに専念した。板張りの床に彼女は古い大きな鍋を並べた。探してもみつからない鍋があるらしく、おばあさんはそれを毎日使っていた頃の記憶をおもいだそうと首をひねったり頭をかしげたりする。
 (中略)
 「蒸し鍋はここにあるけれど、はて、そのフタはどこだろう」
 彼女はかさねた鍋をひとつひとつ持ちあげて底をのぞいてみる。しかし、蒸し鍋のフタはたぶんみつからないだろう、とわたしは思った。なぜならフタはさっきおばあさんが背のびしてのぞいた戸ダナの上に、古い味噌桶のフタの代用として載っていたのだ。わたしが教えないかぎりそのフタは降りてくることはできないのだった。もうおばあさんの十六とか十七になる孫達が、ふかし芋や南瓜まんじゅうなどみむきもしないことを彼女に告げてはいけないのだとわたしはおもっていたのである。

で、その古い鍋でつくったおばあさんの料理は、どろどろに煮くずれており、しかもしょっぱすぎで、とてもまずい。

 ところがおばあさんは、もごもごと口を動かし、
「おいしい、おいしい。みんなと一緒に食べるごはんは、格別だねぇ」
 などといって、たちまち小さな茶碗に二膳のごはんを食べてしまった。
(中略)
わたしはおばあさんの料理のまずさの原因は、たぶん入れ歯のせいだろうとおもった。柔らかい食べ物を彼女はひとりで作って、ひとりで食べてきたのだろう。

とこんなふうに続いていく。今こうして引用してても、ぐっときます。
その模試いらい、「鍋の中」というタイトルだけ覚えていて、でもそれだけでは本屋で探せなくて、そのままになっていた。その後大学に入ってから、何気なく立ち寄った古本屋で偶然手にすることができた。そういう出会いかたも含め、大事な本です。