ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』(1)

アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界 Anarchy, State, and Utopia
第一章 なぜ自然状態の理論なのか

<政治哲学>

政治哲学の根本問題:そもそもなんらかの国家は必要か?
この問題を考えるために、「自然状態」を検討することが有効。

アナーキーでよいなら、「どのような国家がよいか」を問う必要はなくなる。

どのようなアナーキーと国家状態とを比較すればよいか?
→人々がおおむね道徳的制約を守っているようなアナーキー:理性的に期待できる最善のアナーキー(ロックの自然状態)

このようなアナーキーと比較して――国家の方が優れている、国家が道徳上許容できないような過程を経ることなく成立する、国家が成立すれば何か改善がある、とすれば国家は正当化される。


出発点は、非政治的だが非道徳的ではない。道徳哲学が政治哲学の背景となり、境界となる。



第二章 自然状態

ロックの自然状態――他人に害を与えない限り、個々人は自らにかんして好きなようにできる。加えられた危害に見合うだけの賠償を求めることができる。

ロックは、このような自然状態には不都合があるとし、その解決策として市民政府(国家)を持ちだす。

ノージックは、まず自然状態のなかで、どれだけ不都合を回避(程度を減らす…)できるかを検討する。その後で――国家によって解決されなければならないような不都合が残るか?そしてその解決(した状態)は、不都合があるままの場合よりも良いのか?

自然法が、個々のケースに十分に対応するとは限らない。→当事者はどう考えるか?:自分の被害を大きく見積もり、相手に対してより大きな補償を求めようとする。→当事者間での、争い・報復の連鎖。

・当事者A:「もう止める」
 当事者B:Aが「もう止める」と言っているのは信用できる。
 →こうなれば連鎖はストップするが、Aの宣言(とAがその宣言を守ると主張すること)はBにとっては十分な保証とはならない。

・当事者A>>当事者Bという力関係の場合、BはAに補償を求める能力・力を持たない。


<複数の保護協会>

上のような、自然状態において生じる問題にたいして――相互保護協会の設立

問題点――
(1)メンバー全員が誰かの「Help!」に常に準備する(全員が必要でない場合、誰が助けるか)
(2)・「Help!」を言う人がどんな人物か:けんかっ早い人、偏執的な人、協会を利用して他者危害を企てる……
・同じ協会内でメンバー同士が争う

(2)については
協会内の争いには不干渉としては?――subgroups→協会の解体。できるだけ多くの協会に参加した方が有利→参加審査の負担増

協会内の争いにかんしてなんらかの規定で対処する――どの主張者が正しいか決める手続きを定める

(1)については
保護サービスを提供するための分業・交換


国家の場合、国家が提供する保護サービス(法制度)が信頼される理由は、それが究極的な執行力をもつから。法制度以外の執行力は認められない。

保護協会の場合はどうか?――保護協会は、メンバーの私的報復の権利を行使することを断念させるか?

 私的に権利を執行するメンバーは、そのことによる再報復からの保護を受けられない。→私的権利執行はごく低いレベルにとどまる。

 
<支配的保護協会は国家か?>

支配的保護協会と最小国家との違い――
(1)権利の私的執行を認める。
(2)領域内の全ての個人を保護するわけではない。

暴力(実力行使)の独占が国家の要件(マックス・ウェーバー
実際に独占していなくても国家は存続する:マフィア、KKK……

  →では、国家であることの条件とは?
  
  国家は、誰がいつ実力を行使できるかの決定についての独占を主張する
  
  →〔国家〕の許可無しに、誰かが実力行使をした場合、処罰する――と〔国家〕は宣言
  
①支配的保護協会は、この宣言をしない(道徳的にも正当とは思われない)。

②支配的保護協会は、費用を払った者だけを保護する。

 国家の場合は、すべてのメンバーに保護を提供する。
 →だとすると、最小国家の場合でも何かしら再分配的な機構になっているのではないか?
 

①・②から、支配的保護協会は国家ではないようにみえる。でもそうではないかも。→次章